Tibor Serly (シェルイ・ティボール)
Tibor Serly (シェルイ・ティボール)。ハンガリーの男性ヴィオリスト。1901年11月25日生まれ。1978年10月8日没。
ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、作曲家。リストの弟子であり、19世紀末に歌曲やオペレッタを作曲したシェルイ・ラヨシュの息子で、1905年に家族とともにアメリカに移住した。幼少期のほとんどをニューヨークで過ごしたシェルイは、父が率いるピット・オーケストラでヴァイオリンを演奏した。1922年、ハンガリーに戻り、ブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学、作曲をゾルタン・コダーイに、ヴァイオリンをイェノー・フーベイに、オーケストレーションをレオ・ワイナーに師事した。バルトークに憧れて弟子入りし、その後、バルトークについての執筆や講演、多くの作品の指揮や録音を行うなど、バルトークの支援者となった。1925年に演奏と作曲の分野で優秀な成績を収めて卒業した後、アメリカに戻り、シンシナティ管弦楽団(1926年~1927年)、フィラデルフィア管弦楽団(1928年~1935年)、NBC管弦楽団(1937年~1938年)でヴィオラを演奏した。第2次世界大戦中にバルトーク夫妻がアメリカに移住した際、シェルイは波止場で彼らを出迎え、支援を行った。1945年にバルトークが亡くなると、バルトークの家族からピアノ協奏曲第3番の最後の17小節とヴィオラ協奏曲のオーケストレーションを依頼された。この曲は現在、最も広く演奏されているヴィオラ曲のひとつになっている。同時期に「バルトークの民謡によるラプソディー(ヴィオラとオーケストラのための)」を作曲しており、シェルイの代表作品の一つとなっている。ニューヨークのジュリアード音楽院やマンハッタン音楽院などで作曲を教えていたほか、デンマークのラジオ・オーケストラの作曲家/指揮者としても活躍した。 ストラヴィンスキー、ミヨー、プロコフィエフ、ヴォーン・ウィリアムス、バルトークなどの作品に見られる和声の大きな発展を再考する過程で、エンハーモニックな音楽言語と呼ばれるものを開発した。ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノのためのソナタなど、後年のいくつかの作品を「modus lascivus」と題して発表している。
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Rhapsody for Viola and Orchestra - Tibor Serly
Tibor Serly - Concierto para Viola y Orquesta (1929)
Béla Bartók -- Viola Concerto - BB128 (posthumous work), Tibor Serly (1945)
Tibor Serly Rhapsody
Bartók, Viola Concerto, op. post., vers. Tibor Serly, 2-3