Arthur Catterall (アーサー・カテラル)

ヴァイオリニスト イギリス (United Kingdom)

Arthur Catterall (アーサー・カテラル)。イギリスの男性ヴァイオリニスト。1883年5月25日生まれ。1943年11月28日没。

イギリスのランカシャー州プレストンで出身。6歳のとき、プレストンでのコンサートで初めて人前でヴァイオリンを弾いた。1893年にマンチェスターのセント・ビーズ・カレッジの寄宿生として受け入れられるまで、プレストンのセント・イグナチオ・ローマン・カトリック・スクールでイエズス会の下で初等教育を受けた。1894年にはウィリー・ヘス、1895年にはアドルフ・ブロドスキの下でロイヤル・マンチェスター音楽院でも学んでいる。1898年、16歳でセント・ビード・カレッジを卒業。1902年、18歳のときにハンス・リヒターの招きでバイロイトに行き、そのシーズンのコジマ・ワーグナーの音楽の夕べ全てに出演した。1903年、ハレ管弦楽団の演奏会に出演し、チャイコフスキーの協奏曲を演奏した。1907年にはロイヤル・マンチェスター音楽院のヴァイオリン教授に就任。ハレ管弦楽団のリーダーも1925年まで務めた。1913年9月にヘンリー・ウッド指揮クイーンズ・ホール管弦楽団とブゾーニのヴァイオリン協奏曲を演奏した。後に、ヴァイオリニストのモード・パウエルに捧げられていたサミュエル・コールリッジ・テイヤーのヴァイオリン協奏曲をイギリスで初演した。室内楽にも積極的に取り組んでおり、1915年にフレデリック・デリウスがカテラルとピアニストのR.J.フォーブスのためにヴァイオリンとピアノのためのソナタを作曲している。1921年にエルガーの五重奏曲を演奏した室内楽用のアンサンブル、カテラル・プレイヤーズを率いた。アルバート・サモンズが主宰するロンドン室内楽プレイヤーズ、ピアニスト(ウィリアム・マードック)、チェリスト(W・H・スクワイア)と繋がりを持ち、1910年には、自分の名前の下に、ジョン・S・ブリッジ(第2ヴァイオリン)、フランク・S・パーク(ヴィオラ)、ヨハン・C・ホック(チェロ)とともにカテラル・カルテットを結成した。カルテットでベートーヴェンの作品18の1番(1922-1923)と2番(1923-1924)、アレンスキー第2四重奏曲作品35a、ブラームスの四重奏曲第1番(1923年6月)などを、ヒズ・マスターズ・ヴォイスで録音した。ベートーヴェン作品130を全曲録音しているが、これは未発売となっている。マンチェスター・トリオというトリオでも活動した。コロンビアレコードにソリストとして、モーツァルトの協奏曲第5番イ短調K219とバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(ともにハミルトン・ハーティの指揮、1924年頃)を完全収録。1923年11月にマードックとブラームスのヴァイオリン・ソナタニ短調を録音している。マンチェスター・カレッジで長年教えた後、ロンドンの王立音楽院の教授となった。 教え子には、ハリー・ブレッヒ、マーガレット・ジョーンズ・ワイルス、ウォルター・アプレイヤード、ユージン・ジェニン、アーサー・リーヴィンス、ローランス・ターナー、グロリア・パシュレイ、またオリヴ・ゾリアンらがいた。ハレ管弦楽団を去った後はソロ活動に専念し、1927年3月にはトーマス・ビーチャムの指揮でロンドン交響楽団とベートーヴェンの協奏曲を演奏した。1929年には指揮者としても活躍し、クイーンズ・ホールで行われたデリウス音楽祭で第3コンサート(イベンタイア、シナラ、ピアノ協奏曲、アラベスク、アパラチア)を担当した。1929年BBC交響楽団設立の指導者となり、1930年10月22日、クィーンズ・ホールで行われた同楽団の創立記念コンサートで、エイドリアン・ボールト指揮のもと、『さまようオランダ人』序曲、ブラームスの交響曲第4番、サン=サーンスのチェロ協奏曲(ギルヘルミン・スジア共演)、ラヴェル『ダフニスとクロエ』を初めてフルメンバーの演奏などでオーケストラを指揮した。1932年、グランヴィル・バントックは第2ヴァイオリン・ソナタをカテラルに献呈した(第1ヴァイオリンはアルバート・サモンズに献呈)。1936年にBBCオーケストラの職を退き、ソロ活動と指導に時間を割くようになった。若い弦楽器奏者のための別の室内オーケストラ、キャタロール・ストリング・オーケストラを結成(1940年から1943年までオードリー・カテラルが率いた)した。第2次世界大戦の最初の数年間も、現代作曲家の作品の支持者として活動し、1939年2月のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブラームスの二重協奏曲を(チェリストのテルマ・リースと)演奏するとともに、フェリックス・ワインガルトナーのシンフォニエッタをヴィオリストのバーナード・ショアとワイングアルトナーの指揮でイギリス初演した。1940年8月にクイーンズ・ホールで、チェリスト、アントニア・バトラーとブラームスの二重協奏曲との共演では、空襲警報が鳴り響き、聴衆が屋内にとどまることを余儀なくされた後、即興で徹夜のコンサートを行った。カテラル・カルテット(オードリー・カテラルが第2ヴァイオリン)では、1942年2月にはウィンダミアでアームストロング・ギブスによる弦楽四重奏曲ト短調(『ケニルワース』)作品99を初演している。1942年7月8日、ヘンリー・ウッドの指揮でE・J・モーランが彼に献呈したヴァイオリン協奏曲を世界初演し、12月5日のロイヤル・フィルの演奏会でもウッドと共演した。1943年11月にロンドンで死去した。フェイス・セイユ(クラシック音楽のコンテストをを毎年開催するアイルランドの音楽組織)では、 ヴァイオリン及びヴィオラの協奏曲演奏に対するアーサー・カタロール杯が行われている。

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