Daisy Kennedy (デイジー・ケネディ)
Daisy Kennedy (デイジー・ケネディ)。オーストラリアの女性ヴァイオリニスト。1893年1月16日生まれ。1981年7月30日没。
デイジー・ファウラー・ケネディ。アデレードの北160kmに位置するブラ・ブラで、スコットランド人とアイルランド人の両親のもとに生まれた。父ジョセフ・A・ケネディは、グレネルグ小学校の校長であり、南オーストラリア州公立学校教員組合の会長でもあった。3年間、アデレード音楽院でエルダーマン夫人とヘルマン・ハイニケに師事。ウィーンでオタカル・シェフチークに1年間個人指導を受け、その後、ウィーンのマイスター・シューレで2年間学んだ。1911年にロンドンで公演を行い、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランドを広くツアーした。ケネディは卓越したテクニックと目を見張るような舞台での存在感を備え、革新的なレパートリーで高く評価されていた。1914年4月15日、ロシア人ピアニストのベンノ・モイセイヴィッチと結婚した。2人の間にはターニャ・モイセイヴィッチ、サンドラ・モイセイヴィッチがいる。モイセイヴィッチと離婚後、1924年12月にイギリスの劇作家で詩人のジョン・ドリンクウォーターと結婚した。二人の間にはペニー・ドリンクウォーターという娘が生まれた。『ニューヨーク・タイムズ』紙は「幅広いスタイル」、「力強い音色」、「確かなイントネーション」を称賛した。1927年、ロンドンでのプロムナード・コンサート出演のリハーサル時間が不十分だと公然と不満を漏らし、物議を醸した。1920年代後半、ケネディは妻と母としての役割に専念したため、演奏活動は減少したものの、1932年には従妹でチェリストのローリー・ケネディと、ピアニストの妻ドロシー・マクブライドと共にケネディ・トリオを結成した。1937年、彼女は自動車事故で重傷を負い、夫はその後まもなく亡くなった。困窮した彼女は、ロンドンのリージェント・パレス・ホテルで軽オーケストラの指揮者兼リーダーとなり、1950年まで活躍した。ローリの息子で同じくチェロ奏者のジョン・ケネディ、そして孫でヴァイオリニストのナイジェル・ケネディとも血縁関係にある。
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